経験は売るが、自分は売らないことにした話

経験は売る。自分は売らない

ブロガーにとって、何をトピックスに選ぶのかは大変重要だ。趣味?生活?ウェイwww?リア充ぶり?

何が目的なのかにもよるが、なんらかの承認欲求を満たしたいならば、ある程度のPVを稼ぎたくならないだろうか。私は書いているブログが月間20万PVいった。作っては放置、してうまくいったのはこれ一本のような気がする。いろいろと作っては壊し、作り、してようやく見つけた、私の居場所のようなものだ。あのサイトにどれだけ救われたか。

しかし、月間20万PVでは、承認要求が満たされない。

以下には「PVは上がるだろうけれど、危険だ」「やらないぞ」「手を出してはならない」という自戒を込めて書いておく。

私が手を出すまいと考えているのは、「自分」を売り込むスタイルのブログだ。「自分の経験」は売る、というよりもシェアする。しかし、「私本人」は売り物ではない。

生活は最大のコンテンツ

多くの人の最大のコンテンツで、最大のニーズは、やはり生活だ。

会社員のライフハック、育児、学生の過ごし方、節約&ミニマリズム、キラキラ女子もやはり自分の生活をコンテンツにしていると言って良い。

だが、売るものは何かを考えることをお勧めする。

「自分の生活=経験」なのか、「生活=自分自身」なのか。

自分自身を売り込むタイプのブロガー、ユーチューバー、インスタグラマーは、ビューが跳ね上がるようだし、それをきっかけに独立することも可能だろう。
だが、リスクが大きすぎる。

自分を売るつもりでも、実は家族を売っていたならば、相手の人間関係が崩れる

しかし、売っていたものが「自分」ではなくて実は「子どもの話」「配偶者の話」である場合、彼らとの人間関係、彼らと別の人たちとの人間関係が崩れかねない。

「子どものやんちゃに手を焼いた私」「子どものやんちゃに私が打った対策とは」の流れの記事はそれなりにニーズがある。しかしその子どもの「やんちゃ」は刑法に照らし合わせるとたいてい犯罪である。万引きは窃盗。叩いたら暴行(下手したら傷害)。未成年ゆえに逮捕その他はないが。

ぶっちゃけるタイプの書き手は、知っている人ならだれの話か分かってしまうことがある。

バスった結果、友達の親に読まれて特定されて「危険な子」扱いされてるかもしれないのに。

「親や兄弟の問題を乗り越える自分」を書くと、子どもは知らなくても良い話を知ってしまう可能性がある。会ったこともない先祖の不名誉な話なんて知らなくても良いではないか。

配偶者のプライバシーにかかわる記事は、配偶者の社会での立場を失わせることがある。性的な問題はその最たるものだ。セックスレスに悩んでいるなら、それ専門のサイトを完全に切り離したところに作ったほうが良いと思う。

「自分の家族」を売り物にすると、そういう可能性もある。書きたくなっても、我慢したほうがいい。

どうしても書きたいなら、all about meにするのではなく、そこだけ無料ブログにでも書いて放置すればいいと思う。

売り物にするなら、親兄弟に与えてもらった良い話、子どものかわいさ、いい子ぶりを書いた方がどれだけ家族に悪影響が少なくすむかと思う。

ただし、PVは出ないだろう。ありふれていてつまらないから。

自分を売ると、整合性に欠けたときに墜落する

「自分」を売ったときの自分自身が負わなければならいリスクは、整合性に欠けたときだ。

人間、そんなに合理的な生き物ではない。いつもはしない決断をすることもある。情に流されることだってある。

しかし、これまでに書いた話と整合性にかけると、読者は混乱するし、失望して叩く側に回りかねない。

生活は最大のコンテンツであり、ニーズがある。しかし、あまりにリスクが大きい。誰でもできることではない。

もちろん、ブログに書いたことは真実とは限らない。多少盛ることはないわけではない。しかし、その「盛り方」はこれまでとの整合性が必要だし、整合性を失うと墜落してしまう。

経験を売ろう。しかし、自分は売るまい。私は強く思った。

その方法で月間20万PVまでは行った。だが、残念ながら私の承認欲求は満たされていない。どこまで行けば満たされるのだろうか。自分を売りたくなる気持ちが痛いほどわかる。しかし、私にそのリスクは取れない。

追記

このブログは2017年秋にびっくりして、他人のふり見てわが身を直せという記事であった。あのブロガーさんが心安らかに過ごしておられますようにと思っている。